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『ジャグリングの歴史について』
松浦 昭洋
INDEX
- はじめに
- 紀元前から中世まで
- 中世以後から18世紀まで
- 19世紀
1.はじめに
ここでは、太古の昔から行われてきたジャグリングの歴史について、
紹介していきたいと思います。JIS、Juggler's World等で入手で
きた資料から内容をお互いに補い合うように含めて、多くの情報を込
めていくつもりです。
ジャグリングの資料は、絵画、陶器の図柄、彫像、書物と多岐に渡っ
ており、ジャグリングが人々を魅了してきたことを改めて想像するこ
とができます。同時に、記録は断片的にしか残っていないのと、まだ
まだ調査が不徹底であるため、以下にまとめたものも、史実のつぎは
ぎになっている感があるのは否めません。ただ、残っている記録が断
片的であるということそのものは、ジャグラーの生き方やジャグリン
グの世間への受け入れられ方に紆余曲折があったことの表れではない
かと思ったりもします。
いずれにしても、この文章で、皆さんに少しでもジャグリングの歴史
に興味を持っていただければ幸いです。
記述の簡潔さのため、次章以降は断定調で書くことをご了承ください。
2.紀元前から中世まで
2.1.エジプト、ギリシャ、ローマ
ジャグリングが行われていたことを示す最も古い記録は、Middle
Kingdom時代(紀元前1994ー1781年)まで溯る。エジプトのベ
ニ・ハッサンという村の15番目の墓(埋葬されている人は不明)に、
ジャグリングをしている7人の女の子が描かれている(その壁画に関
する詳しい調査結果は参考文献 [2]へ)。
エジプト、ベニ・ハッサンの墓に描かれた少女の絵
紀元前4〜5世紀になるとギリシャのアートの中で、特に陶器の図柄
にジャグラーが描かれるようになった。ジャグリングは、ギリシャ人、
特に女性のレクリエーションの一つであったようだ。また、紀元前2
世紀頃のテーベの彫像で、体の異なる部分で
バランスしている男性のものがベルリンの博物館に現存している [5][8]。
左:ギリシャ人
右:バランスをするローマ人.
ローマ人は武器、盾などをジャグリングの道具として好んで使ったよ
うだ。ローマ人Tagatus Ursus (53-117年) の墓には、ガラスの
ボールで最初にジャグリングを行った人物と記されている。古代ロー
マでは、現在ジャグラーと呼ばれる人は操る物によって色々な呼び名
が与えられ、 例えば、ナイフ投げはbentilatores、ボールを操る人は
pilariiと呼ばれた[6]。
ローマ帝国が衰退するまで、ジャグリングは気晴らし、レクレーショ
ンの一つとして容認されていたが、その後中世の終わりまでジャグリ
ングが蔑まれる時代が続く。その間4世紀から10世紀までのジャグ
リングに関する資料は非常に少なく、あっても侮蔑的なものであった。
しかし皮肉にも、ちょうどその時期の多くの宗教画、聖書の挿し絵と
してジャグラー達が描かれている。この頃ジャグリングは大抵手品や
他の芸と一緒に演じられた。ジャグリングをするパフォーマーの社会
的地位の低さは、ジャグリングがレクリエーションとして継承される
妨げとなった。多くのキリスト教アートの中でジャグラーは描かれて
いるが、彼らはしばしば、いかがわしいモラルと魔力さえ持った者と
して非難された [8]。
jugglerの語源はラテン語のjoculatorで、中世のマイム (茶番狂言師、
道化師)を表す。同じくjoculatorを語源とするフランス語で、現在
ジャグラーを表すjongleurも、そもそもは道化や芸を行うパフォーマ
の他、trouvere(トルベール、中世の北フランスで活躍した詩人)と
呼ばれる歌手も含む言葉だった [6]。
(因みにjongleurは、jougleurという言葉が誤って残ったものだそう
である)
(注1) [4]では、jongleurに含まれる者としてtrouvereの代わりに
troubadour(トルバデゥール、中世の南フランス、プロバンス地方の
吟遊詩人)が挙げられている。
(注2) 当時の"詩人"は作曲家、歌手も含む。
2.2.アイルランド、イギリス、北欧
物語"Tain Bo Cuailnge"には、5世紀にアイルランドの英雄
Cuchulainnは9個のリンゴをジャグリングしたという記述がある。
それから数世紀後、「ダ・デルガの宿泊所の破壊」
("The Destruction of Da Derga's Hostel")という書物には、
Conaire王時代の王家の道化だったTulchinneが9つの剣、9つの金
のボール、9の盾でジャグリングしたと記されている。[1]には、
Tulchinneやジャグラーが観客に怪我をさせたときの法律など、10
世紀以前のアイルランドのジャグリングに関する記述があり、
ケルト民族とアングロサクソン民族のジャグリングの類似性(双方
ボールとナイフを使う)から、10〜11世紀以前の両者の文化の
強い結びつきがあったのではないかと論じている。[1]ではさらに、
コベナント (Covenent) からエルサレムへ箱船を運ぶ聖書の詩篇が、
8世紀から11世紀に、歌手やシンバルやトランペットのみを含む
記述から、ジャグラーや、より現代的な内容を含む記述にいかにし
て進化していったかについても解説している。アイルランドで、
ジャグラーはclesamnach(トリックや芸当を見せるパフォーマ)
やdrLth(=fool、道化、愚人)に含まれていたようだ [5]。
Snorri Sturluson(1179?〜1241年)による北欧の神話「エ
ッダ」("Edda") には、次のような記述がある。
「ホールの通路で、Gyfliは7つのナイフでジャグリングしている男
を見た」
(注3)物語、書物でジャグリングされたと書かれている数のジャグ
リングが実際に行われたかは全く定かでない。現在のクラブの世界記
録が8クラブフラッシュであることを考えると、9つの剣、9つの盾
はさすがに無理だっただろうと思われる。
中世の絵画(大英博物館所蔵)
2.3.ユダヤ
The Tactate Sulkkah of the Talmudには、Rabbi Shimon Ben Gamaliel
は「8つの燃えるトーチをつかみ、空中に投げ上げ、一本つかんでは
一本投げることができ、トーチが触れ合うことはなかった」と書かれ
ている [5]。
(注3) Talmud(タルムード)とはユダヤ律法とその解説を集大成し
た書物。
(注4) Talmudではジャグラー、ジャグリングへの言及が5回あ
る [3]。
2.4.中国
Warring States時代(紀元前475ー221年)にLie Ziによって書か
れた本に、春秋時代(紀元前770ー476年)にLan Ziが7つの剣で
ジャグリングしたと記されている。
3.中世以後から18世紀まで
(参照のないものは全て[8]から)
中世の終わりとともに、ジャグリングは徐々にそれにふさわしい評価
を取り戻していく。Pierre Gringoire (1475-1538年)は
『ジャグラー王 (King of Jugglers)』として知られた。(この名称
は侮蔑のもったものではなく、純粋に敬意のこもったものであった)
1528年にヒンドスタン(インド北部)の皇帝は、木製リングでジ
ャグリングする集団について記している。
同年、Christophe Weiditzはメキシコ・インディアンのジャグラー達
に出会い、ペン画(インク画)を描いている。アメリカ全土では、イ
ンディアンによって多様な様式のジャグリングが行われていた。
インディアンの文化の中で、ジャグリングは宗教的な儀式の一部とし
て用いられ、実際のジャグリングはシャーマン(シャーマン教の道士)
によってのみ行われた。
ヨーロッパでは、1680年にヌレンブルグ(Nuremburg)の町役場が
常勤の『ボールの名人』を雇った。彼は技をみせるだけでなく、若い
人達にジャグリングや綱渡りを教えることもしていた。
18世紀中頃、"L'imcomparable Depuis"はロープの上を歩きながら、
リンゴを(3つ)ジャグリングし、ショーの最後は、両手と口に持っ
たフォークでそれらをキャッチした、と報告されている。
18世紀フランスの木版画
1774年、キャプテン・クックの二回目の太平洋航海に同船した
George Forsterは、トンガで見たジャグリングにについて次のような
記述を残している [7]。
「その元気で軽快な動きをする女の子は、小さなリンゴ大の、完全に
球形の5つのひょうたんで遊んでいた。彼女はそれらを一つ、また一
つと空中に投げ上げ、少なくとも15分は、それらを全てキャッチし
損ねることなく見事にジャグリングし続けた」
4.19世紀
19世紀に入ると、サーカスや寄席演芸が最もポピュラーなエンター
テインメントの形になっていき、それにつれてジャグリングも現在我
々が現在知っている形に発展していく。
1819年の新聞に、インド人Rameo Sameeがヨーロッパでボール、
リングの(バランス)芸、剣の飲み込み芸などを行うという広告が掲
載されている [7]。
(注5)[8]には、「1820年、中国式のデビルスティックと東洋の
ボールマニピュレーションを行うインド人の兄弟Mooty、Medua Samme
が初めてヨーロッパ公演を行った。その公演は大成功し、以後極東の
芸が流行した」と書かれている。
(ここでは[7]を踏襲する)
一般に、記録に残る最初の「現代的な」ジャグラー(ジャグリングを
中心としたショーを行うパフォーマという意味と思われる)は、
1832年にロンドンのDrury Laneでパフォーマンスをした中国人ジ
ャグラーLau Lauraだと考えられているが、上記Rameo Sameeをそのよ
うに考える説もある。
19世紀後半から20世紀初頭にかけて、ジャグリングは手品
(Legerdemain)や他のタイプのエンターテインメントと概念的に区別
されるようになった。(多くのパフォーマは双方一緒に演じていた
が)また、ジャグリングの中でも、いくつかのグループができ始めた。
その詳細については、次章以降で見ていく。
(続く)
参考文献
[1] Alan J. Fletcher, "Jugglers Celtic and Anglo-Saxon," Theatre Notebook,
Vol. 44, #1, 1990.
[2] Billy Gillen, "Remember the Force of Hassan!," Juggler's World,
Vol. 38, No. 2 1986.
(日本語訳へ)
[3] Raphael Harris, "Juggling in Ancient Hebrew Sources," Juggler's
World, Vol. 47, No. 4 1995.
[4] Dr. Henry and R. Evans, "Jugglers and Juggling," Linking Ring,
Feb. and Mar. 1938.
[5] Arthur Lewbel, "Research in Juggling History," November 1995.
(日本語訳へ)
[6] Marcello Truzzi with Massimiliano Truzzi, "Notes Toward A History
of Juggling," Bandwagon, Vol. 18, No. 2, Mar.-Apr. 1974.
[7] Marcello Truzzi, "On Keeping Things Up in the Air," Natural History,
Vol. 88, No. 10, Dec. 1979.
[8] Karl-Heinz Ziethen and Andrew Allen, Juggling - the Art and its
Artists, Werner Rausch & Werner Luft Inc. 1985. (ISBN 3-9801140-1-5)
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